ブックタイトルふるさと潮来 第四輯
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ふるさと潮来 第四輯
太古のころ、「河川を粗末κした水郷の村び?と達が、突じよ襲ってきた大皐魅κよる天罰にあ川、餓死寸前大利根に棲むか竜神NHKよって救われ、となったとき、河川の尊さを諭されると云う,.。ζとκ古き水郷伝説を堀b越し、再び太古K還って河川K対する新認識を深め合ふととも、あJ左がち無意味ではあるまい。筆。000余年前、との東園地方κ早天が毎日続いていた。とL数ヶ月、一粒の雨も降らずKうち続く極度の日照bのため、神代より悠久として流れつづく利根川の水も痩せ細り、果ては砂々たbし香取海(潮来まえの新島が、湖中にあったとろは香取海と云った。そして霞ク浦(信太の浦)や北の浦の常陸より下総まで歩いて渡れる今より約一、も湖水までも枯れ果て、有りさまとなってしまったし朱雀天皇、承平四年の初夏のとろ、に名もない小さな両があった。会寸の潮来) 常陸国板久の里ζの小さな洞(ほこら)Vζいつしか漂泊し来たつた若僧が住みついてHた。ζの若僧の年とろは十八・九才ぐらいであろうか、いつれから来たのか、いづれの生れか、との板久の里者人でさえこの若僧の名も素性も知る者もなかった。との若僧はいたって愚鈍らしく、訳のわからぬととを常Kうそぶき、ときKは唄のどときものを口ずさみ、衣服と云えば乞食にも等しいほろ衣を纏ひ、うに綿入れを着て暑いとも思わぬ様子、酷暑と云ろんで、昼はただ寝と夜は向僧侶というに読経をするととも左く、にワラを敷いて伏し眠り、な〈ただ日を暮すのみ、明けてもなんらするζとも腹が空けば、々を廻り、板久の村里の家だまって木椀を差し出しては、不思議と、ただ一椀の切触れ飯を乞うのみで、菜や汁にはるζとがなかった。若い、ζの無口な乞食坊主に、村の年寄り衆はことに憐れに思加、美味なる食べものを革べ与えても、-83-ただ一椀の飯を食したるのちは決して箸も付けず、わざ手κ与えたる物でも、持ち帰るととすらしなかっわさた。ことK村の若い衆の、たわむれまじりに与えたる食べ物には、どんな空腹な時でも手に受けず、愚鈍な性格の中Kも愚直なところが見られた。乙の乞食坊主の名をト竜と呼んでいた。すなわち承平四年の盛夏である。水郷地方ζの歳、は申すに及ばず、東国一帯に極度左大早魅が襲ってきた。