ブックタイトルふるさと潮来 第四輯

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概要

ふるさと潮来 第四輯

能を果たしていたのではないかとなもわれる。現在常陸利根川と前川の岸κ沿って細長〈のびている牛堀町や潮来町の北手Kは、標高三十m内外の丘陵が各所K支谷を擁して展開している。貝塚がある狭間の丘陵は、北部の麻生町方面のE陵と脈略をもつが、南K下つては大体南北K開析された支谷K制約されつつ利根川沖積地K張り出している。員塚の形成K関係を深くしたとなもわれる支谷は、狭間丘陵の北側と南側K接したものが考えられるが、北手の谷は大きく、潮来町須賀と辻の間kbいて利根川沖積地に閉口している。との開口部から約千m奥K進むと、谷は四方K岐れ、それぞれ幅を狭めて丘陵の深くK及んでいる。貝塚は介岐点から西北部K及ぶ支谷K臨んで構成された。遺跡のある丘陵下の谷幅は、約二百五十mで、現在水田として利用されている。貝塚はかなり急な傾斜をもって下る北側の斜面上端部から下方Kかけて構成されたものと、そこから西南K三十1四十m行ったとζろの丘陵上端部K形成されたものと二つある。西南部の貝塚があるとζろは、そとを最高点として東南KゆるやかK下がっている。丘陵一帯は松を主にした山林地域で、一方斜面は雑木林が生い茂ってなり、い静かな環境地域となっている。ためK見通しが悪く、人気のなとうした樹林地帯の発掘も煩わされるととが多かっ特K遺跡の全体測量は、今回の短かい調査期間では不可能であったので後日KまっととKした。たが、発掘は西南の員塚Kないて実施した。前述のようK との場所は、傾斜がゆるやかであり、貝殻の堆積も安定性が保たれていると判断したためである。松林を通してトレンチを開設するととはむづかしかったが、それでも発掘の結果は、掻乱をほとんどうけていない貝層をあきらかにするととができた。貝層をつくっている貝類はすべて献水産のものであり、しかもこれに包含された魚骨も豊富であった。状況から推して、員塚形成がbと左われた縄文早期の時期K、とと一帯の沖積地Kは、鹿島離方面からょせた外洋水がさし込み、波静かな湾や入江をつくるとともに各所K潟もつくられていたとととなもわれる。とのよう念ファウナの-93ー(第一図) 発掘ポーリング探査によると十二1十一一一m四方Kわたって貝層の所在が推定された。そ南北十m、西方の員塚にないて、ζの最高点Kないて、幅mのAトレンチを開設することとした。ばならなかったのは、トレンチの幅を狭くし念けれ樹木を倒すζとを避けたととの