ブックタイトル潮来町史

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概要

潮来町史

俗民羽十二橋の一つ五郎兵衛橋〔加藤洲〕第VI-94図たそうな、あるとき大賀に祭りがあり、それが終ると若衆二ハ人で、924潮来の遊廓へ行った。酒を飲み女郎遊びとなり、大変な金がかかった。支払いの金が足らず、農家の若衆に金はすぐできないし、親に相談するわけにもいかず困ってしまった。そこで伝仁門さんから借りようと話がまとまり、代表者と置屋の番頭二人の監視のもと、伝仁門さんを訪ねた。だが急なので伝仁門さんにも用立てするだけの手持ちはなかった。そこへ奥さんが出てきて}こに白布一O反があるから、}れで人質になっている若衆を返して欲しいといわれ、番頭も承知した。一方、人質の若衆は楽しさはとうに消え、首を長くして待っていた。}うして人質は助かった。当時、大賀と潮来の聞は歩いての往復だから、使いの者が帰ってくる頃には東の空が明るくなってきたそうだ(箕輪三郎右衛門「黒森伝仁門」『ふるさと潮来』第七輯)。〔鎮守様の竹〕昭和三十年以前の子供らが、ウナギを獲る方法に、、yクシがあった。ツクシとは、俗に篠竹という径一センチ位、長さ二メートル余りの竹に糸を付け針を付け、餌はインマ(江問、農業用水)に綾むトンボの幼虫ヤゴを用い、五月前後から南風のあたたかな夜をねらって、インマに適当な間隔をおいて仕掛けるウナギ獲りの漁法である。ツクシをつくるのに先立つものは竹、大抵の子供らは近隣の町村へ舟で買いに行った。その竹は徳島の鎮守様にかなり生ところが、えていた。これでツクシをつくれば、容易にロハで手に入るので、中に鎮守様の竹でつくった者がいた。すると、獲れること獲れること当人もびっくりするほどで、急いで帰ってきたのだが、獲ったウナギは、みんな白蛇にみえたとのこ