ブックタイトル潮来町史
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潮来町史
ホイださらば行って追い申そうワlホイワーホイワlホイ十五日は「小正月」、小一旦の粥の中に餅を入れ、ヌリデ(ヌルデ)の木で箸をつくり、一人一人食ぺるまねをしたあと、自分の箸で食ぺる(潮来)。十五日の朝「小豆粥」を食ぺ一年の邪気を除き、その年の豊凶を占ったという(津知)。「小豆の日」で、粥あるいは餅にゆでた小豆を入れて神棚に供える。赤飯を炊く家もある(延方)。十五日は「松引き」。小豆粥をつくり若餅を入れる。前日につくった「餅箸」の先に小豆餅をつけて、門松を引いたあとで門松の一番上を少し切り落し、餅と一緒にさしておく(大生原)。十六日は「ヤブ入り」で、}の日奉公人は家に帰る。ヤブ入りを一月七日に行ったところもある(潮来)。ダイサイニチ(大斎日)といい、農家の休日。「牛馬の首もゆるがすな(動かすなどという(大生原)。村の鎮守にお参りする。また嫁の嫁ぎ先の父親が祝いにやってくる(『国鉄鹿島線沿線の民俗』)。「骨正月」ともいった。この日ナリキの餅を食ぺ、灸を二十日正月主に肩、背中、足などにすえる(潮来)。二十日正月で、小正月に飾った餅花や繭玉の類をこの日に下げる風習があり、正月の終りとみていた(津知)。鏡餅、ナリキ餅をくずして汁粉に事して食ぺる。正月の恵比須講でもある。}の日に灸をすえる。また正月fTの餅を下げ、その夜一年間の健康を祈り灸をすえるところもある(延方)。中二十日正月といい、正月の行事はすべて終わる。ナリキ餅をとり、焼い年て食ぺる。この日にナリキ餅を食ぺた数だけ灸をすえると病気にかから第l章ないという。とくに鹿この日山仕事をしない(大生原)。二十日の灸は、行地区に顕著で、これを二十日灸、焼き火、ヤイシなどといっている(『国鉄鹿島線沿線の民俗』)。なお、二十四日は山仕事は休みでわれている(大生原)。}の日山に入ると怪我をするとい829