ブックタイトル潮来町史
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潮来町史
を貼りつけて口や目をあらわす独特の表現が見られる。晩期の安行田a式土器には、土器の文様に見られる三文文が使われており、それに刻み目文を加えている。}の時期には、東北地方に分布する亀ガ岡系大洞式土器にともなう、遮光器形土偶がつくられる。土偶の文様が、その時代の土器の文様の影響を受けていることは、容器の中を、呪術的な文様によって封じ込めようとする意識を、土偶にも使おうとする意識があったのではないかと考えている。世界のあらゆる種族は、種族独特の文様文化をもっており、その文様の多くは、呪術が織り込まれたものである。縄文土器の文様が、時期によって文様が変遷するのも、その時の自然環境、集団の性格などの変化によるもので、土偶に同じ様な文様が使われていることは、土偶が、自然界と地上(精霊が宿る台地)を結びつけている仲介物で、生命の誕生、食料資源となる動植物に対する感謝と、恵に対する感謝、ムラの繁栄と、健康に対する祈りなど多岐にわたって仲介するものと考えられる。このような儀式に使われるものは、土版、石版、石棒、石剣などがある。土版はお守りの札の様なもので、紐が付けられるように穴があいている。文様は、土器や土偶と同じもので、生活に使われている土器の文様が描かれ、土偶と同じ性格のものと思われる。石棒は、陽根、すなわち、男性のシンボルを形作ったもので、現在で狩りとすなどりも、子孫繁栄、家内安全の神様として神社に祭られているが、縄文時代中期頃から見られるようになる石棒は、二Oi三0センチメートルから、一メートル四01五0センチメートルのものがあり、植物栽培などの原始農耕にかかわる地母神ゃ、狩猟にかかわる動物供養などの生産活動に第1章かかわる祭杷とされているが、屋外に建てられた石棒、立石は、墓標と考え、死後の世界に関する祭杷という説もあるが、男根は、精霊をつなげるパイプ役であり、天と地を結ぶものとして立てられたものと考えて、'3OL-aK171