ブックタイトル潮来町史

ページ
812/1018

このページは 潮来町史 の電子ブックに掲載されている812ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

概要

潮来町史

代めるための指導法の研究」という研究主題をあたえられて、三か年の研現究を行った。その成果を示す発表会は、昭和四十一年十一月から十二月にかけて実施された。近また昭和四十一年度には、徳島小学校が文部省委嘱へき地学校研究校Vに指定され、研究活動を展開することになった。定の実験学校の発表会といっしょに行われた。}の発表会は潮来町指同年には、茨城県から道徳教育研究地区として潮来町が指定を受けた。茨城県教育委員会などとの共催による道徳教育研究集会が、昭和四十一年十一月二十五日に潮来第一中学校で開催され、約五OO名が参加して健全な青少年育成のための議論を展開した。昭和四十年代初頭においては、津知第一小学校の健康教育が高く評価された。津知第一小学校は茨城県教育委員会が主催する茨城県健康優良学校の表彰に応募し、昭和三十九年から昭和四十一年にかけて三か年連続して表彰を受けていた。これらの成果は茨城県教育委員会の推薦により、学習研究社が主催する学研教育賞の受賞にもつながった。また津知第一小学校はこの年に、茨城県教育委員会より「茨城県よい歯の学校」として、潮来小学校とともに表彰を受けている。教員、校医、P TAの努力と、児童の身についた実践が)れらの成果をあげたのであった。昭和四十五年には潮来町が、茨城県の生徒指導推進地区に指定された。これは鹿島開発にともなって潮来町においても道路網や住宅地などが急速な勢いで整備され、交通事故の心配や留守家庭の増加など、生徒指導の上で留意すべき問題点が多く出てきたことの反映でもあった。潮来町では幼稚園、小・中学校、高等学校を通じて生徒指導を計画的に推進していった。昭和四十五年十一月には、孝子寅松顕彰会の手によって、延方にある天満神社の境内へ寅松の顕彰碑が建てられた。寅松は慶応二年に延方村800曲松に生まれ、四歳で母をなくし、七歳の時に倒れた父親に対して苦労しながら一心に親孝行に励み、明治八年に茨城県から褒状を受けた人物である。孝子寅松顕彰会は碑を建てた理由として、「急激な社会の進歩発展に惑わされ、人間尊重を口にしながら、最も大切な親への孝養を軽視する現代において、寅松の孝行は、すべての子にとって、輝やかしい模範である。よって有志相図り、碑を建てて寅松の至孝至純を顕彰し、道義の大本を明示した次第である」と述ぺている。これもまた、鹿島開発にともなう激変の時代における生徒指導と、一脈通ずることがらであった。ここで潮来小学校の六年生であった仲沢慶子の、珠算における優れた業績を紹介しておきたい。昭和四十七年十月五日に行われた、全日本通信珠算競技大会兼国際珠算競技大会の小学校の部において、仲沢は日本一の栄冠を獲得した。大会には全国から一万七OOO人が参加したが、仲沢は八OO点満点のうち七二O点を獲得し、第二位に七五点の大差をつけるという圧倒的に優秀な成績をおさめた。昭和四十八年一月二十五日には、NHKテレピの「こんにちは奥さん」に出演して実技を披露し、瞬間的に正解を出す確かな暗算能力は、視聴者を驚嘆させた。その後国際珠算競技大会に参加した韓国、ブラジル、香港など七か国が、各国で行った大会の成績を持ち寄って順位をつけたところ、仲沢の七二O点が最高点となり、ついに仲沢は「世界一」になったのであった。悶和四十年代の後半から昭和五十年代にかけては、日本国中が環境汚染問題で大きく揺れた時代であったが、環境浄化に係わる運動は潮来町の小学校でも実施された。霞ヶ浦や北浦、前川など身近な場所を取上げて浄化運動が何度も行われた。