ブックタイトル潮来町史
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潮来町史
代現近V園(ヨット、ボートレース)の設置を計画、また潮来印施沼を観光地の中790心とするものである」(同)という。}の半年後には、水郷地方にある各観光協会を統合し、水郷地帯の国立公園実現に向け、千葉県もふくめ水郷観光連盟が設立されている(「いはらき」新聞昭和二十五年六月十六日)。このような指定の動きに合わせたように、行方地方事務所が町村別に民俗調査を行なっている(同昭和二十五年十一月八日)。水雲橋のたもとの潮来あやめ園民俗は玉川村西蓮寺の大法要、大和村青沼の濁酒祭など珍らしいものだけでも十数種類、民話は水郷潮来のあやめ音頭を筆頭に牛堀小唄、玉造桃浦音頭など九種類、和歌は古いもので日本武尊が御東征のとき麻生町天王崎で詠んだH榊葉のいつも変らぬ色なれば神の御前にしげりてつゆきHの一首をはじめ有名人の詠んだもの実に百数十首俳句に至っては芭蕉、月居など大家の名吟数百句があり観光地としての資格十分なものがあるのを裏書していることが判った観光業の復興も、あやめ園復活への取組みも、右のような国立公園指定への動きと密接に関連していたとみてよいであろう。しかし四町村合第V-83図併による潮来町が発足しても、国立公園の実現をみることはなかった。合併直後の水郷潮来観光協会は、新たに旧大生原村水原の水原観音、|日延方村諏訪神社、旧津知村硯宮、二十三夜尊などを水郷潮来の名所旧蹟として大いに宣伝することになったばかりでなく、「ポプラ、柳、桜等数千本を植樹、水郷特色をよりゆたかにする一面アヤメも大増植、六月中旬恒例のアヤメ祭りを盛大に開催、また千葉県側とも協力して日本水郷の国立公園実現につとめることになった(「いはらき」新聞昭和三十年月九日)という。陳情ばかりでなく、アヤメの植栽により、国立公園の環境を整えようとする意欲はつぎの新聞記事にも読みとることができるであろう。