ブックタイトル潮来町史

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概要

潮来町史

代現近Vを架設され、与田浦付近の水田地帯も高架橋が連続するという近代的な786路線であった。その区聞が開通し、町内に潮来駅・延方駅が開業したのは、間和四十ここに、明治期以来の悲願が結実し、五年八月二十日のことであった。霞ヶ浦舟運の衰退とともに、永く交通不便の地に甘んじてきた潮来町も、鉄道の恩恵に浴することができた。昭和十一年(一九三六)に竣工した水郷大橋に続いて、道路と橋の整備同三十年には与田浦橋が完成し、同三十九年には潮国鉄鹿島線潮来駅の開業風景来大橋が竣工し}こに潮来町と佐原市中心部を結ぶ道路が直結した。潮来大橋は、戦前から鹿島・行方・稲敷郡内町村の間で建設が検討されていたが、昭和四年の神宮橋の開通によって、いよいよ北利根架橋の建設の機運は高まった。この年、三郡町村は架橋寄付金の分担額について協議し、行方郡町村が総額三O八O円を拠出することとし、鹿島郡第V-81図(一五OO円)、稲敷郡(二五OO円)とあわせて県に架橋を要望してゆくこととなった。}の拠出金のうち、潮来町は三九O円、延方村は一八O円、津知村は一二O円、大生原村は七O円を負担することとなった。しかし、架橋そのものは戦争の激化とともに見送られた。昭和二十四年十一月、潮来と新島村(千葉県佐原市)を結ぶ、「北利根川架橋計画」が再度具体化したと「いはらき」新聞は報じている。また昭和三十四年には「北利根川架橋促進期成同盟会」が設けられ、両県関係者が粘り強い運動を展開した結果、三十七年に着工、同三十九年三月二十五日に竣工したものである。完成した潮来大橋は、常陸利根川を跨いで潮来市街と千葉県佐原市扇島地区を結ぶ橋長二八一メートル、幅員六メートルのコンクリート橋であった。