ブックタイトル潮来町史

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概要

潮来町史

第五章変わる潮来地方第一節鹿島開発と潮来町昭和三十四年(一九五九)一月に策定された「茨城県総茨城県の三つの開発計画合開発の構想」は、戦後一四年を経た当時の茨城県の経済構造について、「全体として農業を中心とした低次産業構造を特徴としており、中核産業である農業の生産性が低いということも大きく影響して経済力は全国の水準を下廻る地位におかれてきた」と述べている。すでに昭和二十五年末に作成された「茨城県総合開発計画」では、荒廃した農業基盤の整備をうたい、新利根川地区などの土地改良事業をはじめとし、さまざまな干拓事業、あるいは開墾事業が計画されていた。しかし県、市町村の劣悪な財政状況がその実現を阻んでいた。からくも食糧危機を乗り越え、さらに目立、水戸、土浦などの戦災復変わる潮来地方興事業がすすむ中で、農業生産力の向上が、次なる緊急の課題ではあったが、農業の低位生産性が、茨城県の経済力を低い地位にとどめていたのである。前章でみたようにこの間に市町村の合併により、三三O市町村が九二市町村となったが、地方財政の再建を果すことはできなかった。第5章昭和二十五年の「茨城県総合開発計画」が同年五月二十六日に公布された国土総合開発法をうけた計画であるのと同様に、「茨城県総合開発の構想」も、昭和三十一年四月公布の「首都圏整備法」を受けたものである。同法は、首都東京を中心とした関東地方一円の地域開発計画を促すものであった。したがって、「茨城県総合開発の構想」においては、依然として、さきの総合開発計画が掲げた農業生産基盤の整備を中心に据えて、産業振興の方策として、農業振興についての施策が盛りこまれているのであるが、重点事項として、工業開発に目が向けられていた。常磐線の電化、国道六号線を中心とする基幹道路の整備が県土開発の中核に置かれた。そして、翌昭和三十五年二月の総合開発事務局設置、一月の県開発公社設立、工場誘致条例公布施行と工業開発の条件を整えて、iva-、、h w J -《四月には「鹿島灘沿岸地域総合開発の構想」がまとめられるのである。さらに昭和三十六年三月には、「茨城県総合振興計画(大綱)」が公表される。すでに昭和三十一年七月十七日に発表された経済企画庁の『経済白書』では、「もはや戦後ではない」ことが強調され、今後の経済成長が近代化によって支えられるといわれた。ゆる神武景気、昭和三十四年の岩戸景気に象徴されているように、」の年から翌年にかけてのいわ日本では長期間持続した経済の高度成長がはじまっていた。「大綱」は、「県勢の飛躍的発展、県民所得の向上を期するため」に以下の「中心的課題」の解決を目標としていた。769