ブックタイトル潮来町史
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潮来町史
代現近Vは柔軟な対応をしていたといえる。また中学校は、原則として男女共学752にすることとし、わざわざ「共学の意味は同一教室で男女がツクエをならぺること」という説明を加えている。青年学校に関しては昭和二十二年の三月末で廃校とし、現在の一、二年生はそれぞれ新制中学校の二、三年生になることとなった。また中学校については、教員の確保が大きな問題になっており、「教員は優秀な者は、資格がなくても仮免状で新北浦海軍航空隊の兵舎を利用した大生原中学校その他国民学校教員中の中等学校教員有資格者、青年学校教員、国民学校教員、国民学校本訓、旧制度の師範専攻科、青制中学校の教員とする。年学校助教諭を採用する。若干の兼任を認める。その他大学専門学校卒業生も採用する」として、各方面から人材を探す姿勢をとっていた。この一六項目の中には、新制度への移行にあたって重要な問題となる事柄がほぼ網羅されていた。制度の移行期における学校間の進級の仕方は非常に重要なことであった。また授業料の徴収や教員採用の課題があったこともわかる。全く新しい事柄としては、新制中学校における男女共学をうたっている点である。}れは戦後の男女平等を旨とする日本国憲法の制定ゃ、民第V-78図法をはじめとする諸法令改正の動きと軌を一にするものであった。潮来地方の各町村においても、}れらの課題を解決する方向で、新しい制度に対応していくことになった。昭和二十一年になると六月から地理の授業が、十一月には歴史の授業が再開されていたが、昭和二十二年から新しい教科が設定されて、戦後教育が本格的に始まった。潮来地方における各学校も、}のような動きに合せて戦後の教育を開始していった。戦後においても数年間は、戦時中と同じように統制経済が続けられたが、戦後においては統制の秩序が崩れたこともあり、物不