ブックタイトル潮来町史
- ページ
- 751/1018
このページは 潮来町史 の電子ブックに掲載されている751ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。
このページは 潮来町史 の電子ブックに掲載されている751ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。
潮来町史
軽野村においては、「裏輩」すなわち神奈川廷が圧倒的に多いばかりしじみほかに「明藍」があり、文か、他府県に移出されるのもこれである。字どおり闘を包むむしろで、価格きわめて低廉といわれる。さらに古来より製造された「入れ廷」があり、かつて入れられた干にしんのほか、はぜ乾物であろう妙、干ハマグリなどを包装するほか、落花生、甘藷の包装にも用いられる。これに対し、延方村では「本村にて輸出するは廷の憧に於てすることまれかます甚だ竿にして、重に之に加工して玖となすなり」といわれ、かますが主流である。いってみればむしろを加工してかますを製造するのである。むしろは原始的な器具により女性二人がかりで織りあげられる。ひきご竣を動かし、他は差互でわらを挿入する。「作業の巧拙は差互を以て藁そうにゅうを挿入するの遅速に因る。人治宝一枚の涯を織る為めに二人を要するが故に、隣家の主婦と共同して従事するを普通とす。即ち一日は自家の廷を織り、一日は隣家の廷を織ると云ふか如くにし、自家の廷を織る時は自ら差互を採りて業を挿入し隣家の主婦は竣を動かすに止まる。竣を動かすの作業は甚だ簡易にして、毎回同じ程度に竣を打下すにあり。故に十二、三歳の児女並に老人も亦、一人前の仕事をなすを得るなり」とあり、原始的な器具を使うため、わらの挿入の技術だけが、製品の量と質を決定す潮来町の誕生るようである。さらに「製廷を行ふは主に一家の婦女子にして、主人はまさつず縄を掬ひ又は藁を打柔け、或は製廷の面を摩擦して(えさ毛摩りと云ふ)其作業を助くる位なり」ということで、男子の労働が期待されることはhih、。泊L右にいう「毛摩り」は、延方村独自の仕上げの工程であり、つぎのよ第4章うに説明されている。織上げたる廷は之を日光に曝して乾燥するなり。之れ藁を打柔け又ややは差互を以て藁を挿入するに当りでは、藁を梢湿潤し置く必要あるが故に、製藍は其当時は常に湿気を含む。之をこの健包装する時は藁は褐色を呈し、製廷の外観並に光沢を損するを以てなり。、時間の後充分に乾燥する時は「毛スリ」と称し、「縄クズ」又は「藁クズ」を一握となし両手にて製廷の表面を摩擦し、細毛を去りあわ併せて光沢を附与す。要するに毛ずりは、織りあがったむしろを日光で乾燥させ、表面の細かい毛羽を除く作業である。軽野村では「延方村に於ける者に比し梢異る点は、織上げたる者を日光にて乾燥し之を直に販売に供する者にして、延方に於けるが如く毛ズリをなさず、従て廷の表面に細毛を有する事多く、梢々仕上げに手数を省くが如し」と、省力生産をするが、「然れとも織方は梢密にして従て其重量は重し」と質の良さが強調されている。むしろが完成してからかますの製造工程にはいる。かます作りは「女子も為さLるに非るも、重に男子の作業」であり、「其方法は(むしろを)中央より折り、其端に両面に沿ふて大縄をあて、鈎を以て引張り、ぬいあわ畳針を以て之の縄と共に縫合せて夙に作る」だけである。大正期にかますは化学肥料とくに過燐酸石灰の包装用に用いられる肥料かますと、塩を入れる塩かますが主流であった。大正期に営まれた農家副業としては、わら細工は女子労働に依存できる点で有利であった。しかし経営規模まで縮小して営まれる副業に対しては、延方村を調査した県農会の技師も、つぎのように危倶していた。藁細工は四時其時季を選ばず随時勝手に従事し得るが故に、副業として最も適当なる性質を有す。Eつ其作業も頗る熟練し易く、婦女子の労力を利用するに最も適当せり。之を以て其一日の賃金も極めて安値なりと云はざるべからず。農家は藁細工の為めに農業の作付739