ブックタイトル潮来町史
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潮来町史
V近現代第V-45表経営規模別農家戸数とその面積(昭和24年3月1日現在)町村名l反未満1~ 3反3~5反5反~1町1. 5~1.5町2町2~3町3~ 5町5町以上百十潮来町津知村延方村大生原村13戸91戸77戸129戸135戸83戸24戸I戸553戸0.8町18.0町30.21町97.0町167.8町140.3町53.0IBJ4.4町511.5町14戸27戸30戸79戸66戸28戸2戸246戸0.9町4.8町11.6町56.4町79.5町43.3町4.1町200.6町32戸89戸89戸218戸224戸94戸13戸759戸1.8町20.2町34.1町166.4町276.6町160.3町28.3町687.8町15戸50戸45戸122戸84戸28戸3戸347戸0.8町11.61町17.7町95.6田I96.8町52.3町6.4町28日町74戸257戸241戸548戸509戸233戸42戸1 P 1905戸4.3町54.6町93.6町415.4 RlJ 620.7町396.2町91.8町4.4町1681.2町股林省農地局農地諜「段地等開放実績調査茨城県」所収「段地統計調査」による.折角の開墾計画を一というにある、結局品の生産も絶滅する万円を越ゆるワラ工採草地も失い年間百る牛馬の飼料となる水田が用水困難となる上に約三千町歩の用の井戸水が枯渇す立木を伐採すれば飲の分水嶺であるから墾予定地は関係地方耕作農民が反対し開所有山林だがこれには小地主七十六人のている、開墾予定地にあい一頓挫を来し村農民の全面的反対手前で関係一町六ヶいざ着手という一歩画し実地踏査も終了を実現させようと計墾コルホーズ式農場の野原三百町歩を開連絡し大生原村大生後の農業生産力上昇の基盤を提供したのである。を残しながらも、「土地を耕作農民へ」という農村民主化を実現し、戦組が誕生した。農地改革は、従来の小農経営の継続固定化という問題点の農村には、明治i昭和前期の地主制下の名望家支配とは全く異なる枠農地改革の結果、第VlG表から第Vl必表に見るように、潮来町域とになった(昭二十和二年六月十七日)開墾地開放推進協議会を設立研究調査を行って開墾地を決定するこ応白紙に戻し潮来津知延方大生原太田八代関係各町村にそれぞれ未732