ブックタイトル潮来町史
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潮来町史
第四章潮来町の誕生第一節戦後の混乱昭和二十年(一九四五)八月十五日は、五O年後の今日に戦後の課題おいでさえ、日本人にとっては、意義深い一日である。しかし、}の日を境にして、日本が急に変化したわけでふみ工、必っこ02eサ' AMJ ''それから三か月余り経った十一月二十一日に開会された通常県会は、八月十五日以前がそうであったように、開会式の冒頭に宮城遥拝があった。式後に議長から提出されて満場一致可決された決議には、「輩に茨城県会は二百万県民と共に敗戦の現実を直視し刻苦励精以て日本建設の大業に遁進し、内は万古不易の国体を護持し現下の思想的混乱と大衆生活当面の不安を一掃し、大いに民意の暢達に努め、外は道義世界の建設に寄与し」(『茨城県議会史第五巻』)とうたわれていた。大衆の当面の生活不安を一掃し、民意のちょう達に大いに努めるのはいいが、潮来町の誕生敗戦の現実を直視して万古不易の国体を護持するというような思想的混乱は、決議そのものの中にもみられるのであった。したがって、議員の質問も、「明治維新の大業に参画して勤皇茨城の名を轟かしたる我が茨城県民は、新日本建設にも亦率先して此の最も困第4章難なる時代に挺身し、御奉公致さなければならぬ」といい、また「我が国の教育家文教育者が教育勅語の精神に背くことがなかったならば、戦争も起らず、敗戦の悲惨事を喫することはなかったのではなかろうか」と悔みもする。とても敗戦の現実を直視したとは思えない論調である。これに対して知事は、「飽く迄も道義の正しい、又情宜の深い更に高い文化と平和を愛好致しまする精神の持主、更に社会奉仕の為には飽く迄起って進むと云ふ強い責任と決意を持つ」人聞を育成したいと、L、治〉にも官僚らしい、当りさわりのない答弁をしている。極端な国家主義思想と軍国主義思想とが、この時点で、一O年をい日本を席巻したのは、くらも越えてはいなかったのであるが、わが国開閉以来はじめての敗戦という驚天動地の経験によっても、それらは簡単には払拭されなかったのである。しかし一般県民にとっては、思想的混乱どころではなかった。銃弾や砲弾で命を断たれることがなくなった代りに、長期間続いた戦争のため、生命を再生産するのに必要な食糧をはじめとする物的資源が枯渇していたのである。一般県民にとっては、思想的混乱よりも、生命の再生食糧危機と甘藷茨城一号産に必須の食糧資源の枯渇のほうがはるかに問題であった。食糧生産県とはいっても、茨城県でも、戦争によって基幹的な農業労働は戦争に徴発されていたのである。水田地帯である潮来地方では、畑作地帯と異なり、農業にとって男子の労働力は不可欠であったために、影響は深刻であった。}れに加えて、717あらゆる物