ブックタイトル潮来町史
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潮来町史
た。県の調査も進み昭和三十一年十二月頃に結果が纏まり、昭和三十二年度着手代行延方干拓計画等が農林省に提出された。たまたま昭和三十二年度より干拓制度の改正が行はれ、地区面積一五Oヘクタール以上については国営施行となったので、昭和三三年度国に於て再調査を行なうこととなり、実施計画樹立の結果採択する所となり昭和三十四年着手、国営延方干拓建設事業がいよいよ発足することとなて居った。った。霞ヶ浦・北浦周辺には往時より干拓としては開田が随所に行われその主なるものに、鰐川・江戸崎入・本新島・余郷入・内浪逆浦と数指に余るものがあるが何れも団体営又は代行干拓で、戦前戦後を通じての国営干拓は延方干拓を以て晴矢とするものであったので、当は左記の通り。時地元関係者としては歓喜雀躍したものだった。以後の主要な事業経過三三年四月=二日ニ四年一二月二ハ日五年月四日三五年一一月九日ニ六年二月二二日明治末・大正期の潮来地方三六年三月二七日三六年三月三一日三六年七月一一一日盛土工事着手三七年三月二四日三七年七月二日第2章三七年一O月一七日六OO万円に改定地元延方干拓期成同盟発足関東農政延方干拓事業所開設延方支所に仮事業所設置漁業補償調印観光船補償調印(定期船)機帆船補償調印工事用受電所が完成(延方)鰐川筋公有水面埋立(延方干拓)認可一号堤分庁舎竣工二号堤盛土工事に着手総事業費五億一二五四万三OOO円を七億二三七年一二月二七日三八年三月二O臼三八年九月二六日三八年一二月九日九年月日三九年二月一一日三九年二一月四日三九年一二月二一日四O年七月一五日四O年一二月一O日完了四O年一二月一O日O円)四O年九月四日四一年九月三O日背後地補償工事調印(国営負担三一OO万円)米島問門竣工一号堤防舟通一部の締切完了第一排水機場工事に着手大洲開門竣工第一排水機場完成に伴い干陸開始地区内幹線道路工事に着手南幹線水路工事の一部開始地区内幹線排水路工事に着手北幹線排水路の一部(上流部)を除き主要工事主要工事完了(総工費八億六八七一万三OO延方干拓建設事業竣工延方干拓建設事業完了により閉鎖概略以上の経過を辿って出来上がった干拓であるが、大事業には色々思はJざる障害或は副産物は付き物のようであるが、此処では前者をて二拾って見ょう。其の一つは昭和三十四年頃建設省に対し、公有水面埋立権の申請に当って隣接町村の議会の同意を得なければならなかった。それは鹿島町である。ところが時の町長黒沢義次郎氏、其の後鹿島港建設に当っても全国的に話題を撒いた人が完成後の町村界問題(配分もからめて)を取り上げて、議会をリードして賛成多数で埋立反対の決議をしてしまった。潮来町に言はせれば、濡れ手に粟の言い分としか聞けないものである。発足して聞も無い干拓事業所は当初から厚い壁に突き当655たり、業を煮やし幾度か事業所を引上げようかと考えたこともあったと