ブックタイトル潮来町史
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潮来町史
明治末・大正期の潮来地方第2章村と、千葉県香取郡佐原町の聞の利根川に架かるものであった(『佐原市史』)。水郷大橋の架橋を求める声は、大正十三年(一九二四)頃から高まり、昭和八年(一九三三)二月、架橋建議案は両県議会を通過し、同年十一月には両県議会で架橋設工費が可決した。昭和九年二月工事に着手し、同十一年三月に完成した。完成した橋体は銅製ゲルパ1桁一六連、橋長五五三メートルで有効幅員六メートルのアスファルト路面を有する本格的な道路橋であった。水郷大橋の完成によって、潮来地方と佐原、東京方面との連絡は一層国道51号線津知交差点密になったことにより、それまで佐原方面からの観光客は、舟運によるほかなかったものが、自動車で訪れることができるようになった。また水郷観光ブ!ムに沸く昭和四年に、県道鹿島・佐原線の神宮橋が開通し、同十五年四月には延方村小泉・洲崎聞の約一五00メートルの直線区間で幅員拡張工事が完成し、同年中には牛堀・鹿島神宮聞の舗装工事が実施されるなど、のちの一級国道五一号線の骨格が、姿を現しは第V-44図じめた。なお、潮来市街の前川橋は昭和十年三月に架設工事を完了し、同月中旬に竣工式が執り行われ、大正通りにかかる橋も前年三月に完成している。地方主要道路網の整備が進むとともに、大正期からパス事業の展開昭和初期にかけて、乗合自動車事業が全国各地で勃興した。その大半は、関東大震災にみまわれた東京市の復興で名を馳せた、T型フォード車などを所有する個人経営者であったが、昭和期に入ると鉄道会社などが参入し、路線展開をめぐって激しい競争が行われた。ついで戦時統制下の昭和十八年(一九四三)には鉄道省や都道府県の指導の下で、府県毎に数ブロックずつの経営統合が639