ブックタイトル潮来町史

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概要

潮来町史

第二章明治末・大正期の潮来地方第一節地方改良明治四十二年(一九O九)、茨城県は「郡市町村是調査地方改良運動)れに基づいて各郡市町村では、「郡標準」を定め、是」「町是」「村是」の調査、策定事業が行われる。の背景には、日露戦争後、過重な税負担や商品経済の浸透などによって地主・小作関係の矛盾が醸成され、旧来の農村秩序が大きく動揺するに至ったため、その秩序を再編し、国家的要請に耐える農村を育成しようとした、内務省指導による地方改良運動の展開があった。商品経済の農村への浸透について、当時の農商務省技師で近代日本における農家経済調査の創始者といわれる斎藤万吉の次のような報告がある。明治末・大正期の潮来地方明治二十年代の末、即ち日清戦後より三十年代に百一りでは、普通食料穀類の外、肥料及石油、塩、煙草、醤油、酒の如き日常品は殆んど全く購入品となり、また児女の教養其他世間等莫大な費用を要するに至り、かの所謂政派的散財は別として、真面目に農村に在て農業に従事せる人々においても、古来日本の農法なる米作にのみ力を致しては、今日各自の家計を支へ難きを覚ゆるに至りたれば、将来第2主義の如何を論ずるの暇なく、何になり少づLにでも現金収入の多きものに、専ら力を入るL事態とはなれり(「最近二十ヶ年間に於る日本農事の変遷」明治四十四年刊『実地経済農業指針』)。内務省指導による地方改良運動へのとりくみは、明治四十一年の戊申詔書の発布に始まる。これは日露戦争後の国民に向って節倹勤労、風紀改善、親睦協和などの心構えを諭したもので、その後教育勅語とともに国民の拠るべき価値基準とされた。この詔書発布以後、全国にわたって納税完遂、勤倹貯蓄、町村基本財産造成、農事改良、風紀改善などを目的とする地方改良運動が展開していく。この運動の指導理念は、町村内の支配関係に家族的な擬制を与えこの家族的心情を援用して利益対立の表面化を防ごうとする「一村一家観念」、地主・小作間の階層対立を抑制しようとする「分度推譲」、そして消費抑制をねらった「勤倹貯蓄」その思想的根拠をなしたのは「報徳精神」であった。茨城県における地方改良事業は、明治四十一年十月、報徳主義者坂仲などであり、輔が、神奈川県内務部長から茨城県知事に就任したことによって本格化する。坂知事は赴任後まもなく、前述の郡市町村是調査標準を布達、町村是、郡是、県是の策定を中心とする、地方改良事業を推進していくのである。もともと「町村是」の策定は、明治十七年に『興業意村是の策定見』を編纂して明治政府の殖産興業政策理論的裏づけをはかり、「布衣の農相」といわれた前田正名が提唱したものであった。前田は「本調査の目的は、町村の将来拠て以て立つ可き597