ブックタイトル潮来町史
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潮来町史
第二節古墳の築造古墳の移り変わり畿内や北九州の先進地では三世紀後半ごろ古墳の築造が開始される。それに対し南関東では、弥生中期後半以来の墓制である方形周溝墓(溝を方形に区画した墓)から大和朝廷の東国統一と共に高塚古墳に変わるとされている。しかし茨城県においては、弥生後期の墓制は不明な点が多く明確なことはいえない。その時期の方形周溝墓はいまだ発見されていない。あかつかまがりまつ古墳時代前期中頃になって、初めて水戸市赤塚遺跡や目立市曲松遺すわまは包むろ跡、東海村須和間遺跡、つくば市花室遺跡等の遺跡で方形周溝墓が確認されている。これらの遺跡は、近くに同時期の集落跡が確認されており、密接な関係があるものと思われる。つまり、方形周溝墓に葬られた人は、常陸地方の統一に送り込まれた畿内近隣の人々の長の墓と考えることができよう。それに対し、方形周溝墓築造と前後して、一部の地域では前方後方墳や日本独自の形状である前方後円墳が築造される。それらの古墳に葬られた人こそ、東国統一のために大和朝廷から派遣された直属の豪族の墓大生古墳群の成立とも考えられるが、それにしては鏡や冠等の副葬品が少なすぎるという問題点もある。前期古墳四世紀代の古墳を前期古墳と一吉う。県内のこの時期の古墳は、行方郡玉造町勅使塚古墳や新治郡八郷町丸山きつねづか古墳、西茨城郡岩瀬町狐塚古墳、第3章つくば市山木古墳等数基の古墳が挙げられる。丸山古墳は、全長五六メートルの前方後方墳で、昭和二十七年(一九五二)の明治大学教授後藤守一の調査によると主体部は木棺直葬で、内行花文鏡・玉剣の副葬品も出土している。狐塚古墳や勅使塚古墳等も前方後方墳の形態をとっている。このように、茨城の前期古墳は前方後方墳が主流で、主体部は木棺直葬が多く、副葬品も鏡、玉、剣の三種の神器はそろっているものの他県墳@墳方方形周溝墓ヂミ〉ut交士三三記也、103大洗町車塚古墳類-ら.'====-==='土浦市寺家ノ後B遺跡2号噴第1 -34図種の墓~水戸市赤塚遺跡2号墓