ブックタイトル潮来町史

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概要

潮来町史

原始・古代n軍神である。物部氏はフツヌシの神とタケミカヅチの神を守護神として、90東国に進出したのである。したがって、鹿島神宮は大和朝廷によって創建された政治的色彩の強い神社であった。『常陸国風土記』に鹿島神宮が、「天の大神の社、坂戸の社、沼尾の社」の三社を合わせて、香島の天の大神と称した、とあるように、天と大神であるタケミカヅチを主神とし、坂戸、沼尾の地主神を結合して鹿島神宮が構成されたのである。鹿島の地にタケミカヅチの神を杷った物部氏は、六世紀後半に蘇我氏と争って敗れ、本宗が没落し屯かとみたので、代わって中臣氏が鹿島神宮と結びつくようになったといわれる宮(丸山二郎『日本古代史研究』、松前健『日本神話の形成』)。しかし、中臣氏神の職掌は神の託宣をうけとめて、天皇に伝えることにあったので、鹿島島の地にタケミカヅチの神が杷られたとき、中臣氏も鹿島社と関係をもっ鹿たことが考えられるのである。第1 -26図豊かな水辺環境と広大な領域を有した那賀国の初代の国造は、建借間命とされている。『国造本紀』には成務天皇の御世に伊予国造同祖の建借間命を仲国かむやついみみ造に定めたとあり、建借間命は神八井耳命の八世の孫となっている。おおのおみちいさζべのむらじさかあい『古事記』にも神武天皇の皇子神八井耳命は、意富臣、小子部連、坂合べひのきみおおきだあそっ〈しのみやけささぎぺおはっせのみやっこっげの部連、火君、大分君、阿蘇君、筑紫三家連、雀部臣、小長谷造、都一耐あたいいよしなのみちのくのいわきひたち忽がさいせの直、伊余国造、科野国造、道奥石城国造、常道仲国造、長狭国造、伊勢ふなきおわりのにわのおみ船木直、尾張丹羽臣、島田臣等の祖なり、那賀国造の性格とあるので、那賀国造は神武天皇の皇子神八井耳命の子孫という皇別系譜をもっていたのである。那賀国造の祖とされる神八井耳命はいかなる人物であろうか。『古たぎしみみ神武天皇が崩じたとき庶兄の当芸志美美命が三人の弟たちかむめはかわみみを殺そうとした。驚いた神沼河耳命は兄の神八井耳命に、事記』こ+晶、ii当芸志美美を